人生は、始まりと終わりの繰り返し
何かが始まり、終わるとともに
次の何かが始まり、また終わる
自分の命の灯が絶えるまで続く循環
始まりと終わりの間の時間が
ただひたすら続いているだけ、
同じことを続けているだけに思える時も
その中にも小さな終わりと始まりがあって
ただ同じように続いているだけに思えることも
本当は何かが新たに始まったり終わったりしている
朝が終わって昼が始まり
と思っていたら昼が終わって夜が来て
夜が終わって朝が始まる
一週間が終わって次の週が始まり
一年が終わって次の一年が始まる
十年が過ぎて、次の十年が始まる
その十年が無事終わって次が始まる保証は何もないけれど
自分の命の灯が絶えるときまで
何かが始まり、終わりを迎えて、また次が始まる
自分の部屋を大胆に変えたいけど勇気も根性もないな、と思った何年か前のこと、ネットで物色していてタペストリーを飾ることを思いついた。
絵とか画像とかの見るものより言葉のほうが響く私なので、同じなら自分の支えになるような言葉が入っているのがいいと思い、選択肢の中から選んだのがこの写真のものだ。
"All the ending is a new beginning, just don't know at that time."
どこかからの引用なのかわからないけど、何かが終わったように思えてもそれは次の何かの始まりの合図だということを、意識しているだけで前を向く支えになる。
人生に無駄なことなんて一つもないかどうかは、本当はその人自身が決めることだ。
そもそも物事に意味を見出すのだって人間のすることで、どういう意味を見出すかだって人によって違う。
ある人は、起きてしまった出来事が一見酷いものであり、関わる相手という存在が居た時、ひたすら相手に恨みを募らせて、相手の写真に釘を打ち付けて脅迫メールを送り付けたりする。それはとても悲しくもったいない時間の使い方だ。
どんな出来事からでもポジティブに意味を見出すことはできる。ただしそのためには精神的な経験が必要で、自分も誰かを傷つけたり誰かに傷つけられたり、余計なことを言ってしまったり言われたり、そういう経験を経て様々な視点というものは身についていくもので、そうして寛容さも育まれるし、ほんとうの意味でゆるす、「赦す」という精神レベルに到達できる。
そこに至るまでに何度も失敗したとしても、悔しさや悲しみを堪えて乗り越えて、犯罪とされるような行動に出ることを恥じ、自分へのプライドを棄てなければ、きっと精神的な成長は遂げられる。そうしている間に精神は熟成されている。過去の自分が子どもだったな、幼かったな、と思える日はいつか来る。そう思えているのは、自分が当時より大人になったことの証。
すべての経験を活かして自分を大きく成長させられるかどうかは、自分にかかっている。私はその道を順調に進めていると思う。
それはもちろん関わる人々の「協力」もあってのことでそこへの感謝の気持ちは忘れてはいけないけれど、自分が自分を向上させることは自分にしかできないことで、自分が培ってきたもの。それについては誇っていい。誰も認めてくれないかも知れないけれど。自分はこれまでの歩みを誇っていいし、自分を労い、労り、愛して、また次の道を歩み始めるのです。
少しの間、羽を休めて。
[2023-12-31 12:55]