N-moca DEEP

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

「幸せは自分で掴むもの」

YouTubeの選択タロット番組のお気に入りチャンネルで、最近更新された動画の冒頭で記事タイトルのようなことを言っていた。

スピリチュアルではかなり言い古されてきた定番中の定番の言葉でもあるけど、私などはその言葉を聞いたときに反射的に起こる感情は、自分の怠惰さを叱られているような、どこか自分責めに繋がる響きを感じてしまう。

その動画はいつも通り楽しいものだったけど、見終わったあともずっとそのことが尾を引いていたので何が引っかかっているのか考えてみた。

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「幸せは自分で掴むもの」というと、なにか壮大な夢とか目標を成し遂げるために自ら行動する、というような攻めの姿勢みたいなものを連想する。でも言ってることはじつはもっと単純なことだと思った。

たとえばこういう例。

「新装開店した量販店が、先着20名様限定で◯◯プレゼント!という企画をやっている。そのプレゼントがどうしても欲しい!これは人気がありそうだ。開店の何分前に行けばもらえるかな、、予想を立ててオープン前に店に行く。案の定既に列ができ始めていた、でもまだ間に合う、並んだ、もらえた!やったぜ!」

これだって「幸せを自分で掴んだ」わけだ。日常にありふれている風景だけど、ごく当然のこととして誰もがやっている。ただしもちろんメンタルを病んでいたり疲れていたり極端に自信がなかったりしたら、どこかで諦めて「幸せ」を掴めなかったかもしれない。

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「幸せは自分で掴むもの」と言うときの「幸せ」という言葉に、どこか壮大で非現実的な夢みたいな感覚を持ってしまうから、その言葉がしんどく響いてしまうんじゃないかと思った。そうじゃない、「幸せ」って「うれしいこと」や「楽しいこと」ならなんだって当てはまるのだから。

「幸せ」ってなんだろう。これも数え切れないほど考えてきて、私自身の答えとしては「幸せと感じられていること」という、ちょっとひねくれたような見解に至っているんだけどしかし事実そうだと思う。

でも今日はさらに一歩踏み込んで考えてみた。私が欲しい幸せとは何なのか?それは「精力的に何かに注力しそのことによって自分の絶対的な存在価値を感じている状態」。そして多くの人にとっての「幸せ」ってそういうことじゃないかな、と思う。

まあ結婚前の女性なら「好きな人とずっと一緒にいられたらそれが何よりの幸せ」とか言うかもしれないけど、正味の話、それには賞味期限があると思う。今たまたま誤変換して思いついた表現だけど。本当にずっと一緒にいるだけだったらいずれ飽きる。飽きたとき、どうあるのが幸せか?別な男性を探すことか?そうじゃないだろう、っていうかそんなのキリがない。そして自分以外の誰かありきの「幸せ」は幻である。相手に投影しているのは自分の心なのだから。

まず自分で自分を満たす。その上で共に手を取り暮らすことがお互いにとって真の意味で支えになる、そういう関係を築けたら素敵だなと思う。そういう人に出会いたい。

その前に。

「精力的に集中して取り組める何か」に出会いたい。出会えるまでは、手当たり次第にやってみる、しかないんだろうな。。

[2023-11-28 17:28]