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執着の手放し方

「執着を手放す」って、精神世界の探究もといメンタル改善を試み始めるとわりかし初めの方で出会う言葉だと思う。

かれこれ二十数年自分と向き合うことを続けているので、何度も繰り返しその言葉に出会うし、その都度視野が広がってその言葉の意味も違った角度からとらえられるようになってきたけれど、そうは言ってもぼんやりとしてあまりよく見えていなかった。

まず第一に「執着する」と「手放す」は真逆のことを言っていて、言い換えると「持つ」と「放す」を同時にせよ、と自分自身に命令しているようなものであり、不可能である。そのことを認識するのが第一ステップ。執着してるんだからそれを手放すなんてできない。「執着を手放せない自分はダメな人間だ」と自分を責める必要は微塵もない。むしろ「執着を手放す」という難題に取り掛かった自分を褒めてもいいくらいだ。

さて、執着は手放せないものとわかった。しかしそれだけではいつまで経っても<何か>に執着している苦しみからは逃れられない。そもそも「執着を手放す」という言葉に出会っているということは、その苦しみから逃れたかったからに違いない。

そこで思い付くのは、執着している自分を許す、そういう自分を客観的に眺めるということだ。こんなに執着してるんだから苦しいのも無理はない、と自分を慰める。なぜそんなに執着してしまうのかはわからない。けれどもとりあえず執着している対象にフォーカスするのを一旦やめて、執着している自分を観察する。そうしていると少し執着の粘着力が弱まり、ふっと楽になる時がある。

もしもそのままうまいこと<何か>から視線をそらし離れることができるならそれがいい。あくまでも自然にそうなるのを眺めるのであって、無理にその状態を持続しようとすると、力んでしまうのでまた元に戻ってしまう。元に戻っても別にいい。それはきっとまだ時期じゃなかっただけ。

そんなことを続けてきて今思う、執着の手放し方はこうだ。

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<何か>に執着している時だって、それ以外の何かへの興味や関心というのは少なからずあるものだと思う。たとえば元彼のことが忘れられなくて苦しんでいる時でも、あれ食べたいな、とか、あの服素敵だな、とか、あの曲かっこいいな、とか思う程度の隙はあるものじゃないだろうか。元彼のことばかり考えてしまってしんどいけれど、本当に元彼のことだけを考えているわけじゃなく、生活しないといけないので元彼と関係ないことだっていろいろと頭をよぎっているはずだ。

執着しているときは元彼の存在が大きすぎてそういうちょっとした興味や関心というのは持続しないので自分にとっては取るに足らないものに思えるけれど、案外それは次のステップを示してくれている。元彼に執着していることは承知の上で、かっこいいなと思った曲のバンドの曲をいろいろ聴いてみるとか、少しずつ視界に入るものを増やしていく。

今は視界(心の領域)の中に元彼がドンと座っているのでしんどいのだ。でも他の興味の対象が視野に入ってきて、そっちに目を向けることが増えてきたら、元彼の幻影は萎まざるを得ない。そうすると執着の対象ではなくなり、心が軽くなる。これにて「執着を手放す」ミッション完了、といった次第である。

少しずつ視界に入るものを増やしていく時、できれば受動態ではなく能動態、自分がやってみたいことをやるほうが効果は高いように思う。そもそも元彼から視線をそらした先にいるのが別の男性だったりすると、またその男性への執着に苦しむかもしれない。けれどもその対象が人など眺めるものではなく、自分がやること、上達を目指せることであれば、その対象から裏切られることはない。挫折するのはまた別の問題で、なんなら元彼に執着したままその挫折を克服するにはどうしたらいいか試行錯誤することだってできる。そうしているうちに執着は薄れるはずだ。

それから先に「なぜそんなに執着してしまうのかはわからない。」と書いたけれど、これって磁石みたいな力が働いているのだと私は思っている。なぜだか人間の心は、フォーカスするとズームアウトするという機能がうまく働かないようにできているらしく、そのために一度心が惹きつけられたものからは目が離せなくなってしまうのではないか。もしかしたらフォーカスに伴う様々な出来事がズームアウトを難しくしているだけかもしれない。

なんであれそれは、人として生きる上で特別な経験であることには違いない。今自分を苦しめている「執着」という感情も、きっと魂の郷に帰る頃には何物にも代えることのできない貴重な思い出になっているはずである。

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ところで執着している対象が元彼の場合、元彼と関連のあるものは全部処分するとか、元彼の嫌いなところを並べ立ててあんなヤツ別れて正解だったんだと自分を納得させるとかの方法が一般的じゃないかと思うけど、元彼が職場の同僚だけどどうしてもその職場を去りたくないしあちらも去りそうにない、みたいな感じでそういう方法が取れないこともある。時々は相手を立てつつ相手との関係性はある程度残したまま執着だけを手放したいこともあったりする。

そういう時は、「相手を立てつつ執着だけを手放す」とまず決める。決めた自分をまず褒める。その上で試行錯誤していくうちに、その願いは叶うものだと思う。

私はきっと相手を立てつつ執着を手放し、これからも相手を応援していくことができると思う。そういう自分を誇りに思うし、その誇りに思う気持ちがそれを可能にしているのだと思う。

最終的には自分が自分をどれだけイケてると思えるかってとこですわ。結局は<何か>への執着もじつは<何か>とは無関係な自分の中での問題なんだね。

やるべし。まずは「手放す」と決めるとこから。

[2023-08-20 9:45]