N-moca DEEP

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

ウスペンスキー『新しい宇宙像』を読み始めた

こちらのブログには私が「精神世界の探究」を通して、自分の中で一定の確信を得たこと、文章としてまとめるところまで噛み砕けたことを書いていくつもりだったけど、そんな条件を付けていたらいつまで経っても書けないので、「精神世界の探究日記」として使おうと思う。

===

ウスペンスキーのことを知ったのは、グルジェフのことを知ったとき。

naoko-y-life.hatenablog.com

まだ3ヶ月も経っていない。グルジェフと過ごした日々を記した『奇蹟を求めて』を書いたのがウスペンスキーだった。

グルジェフという人は、どうやらその界隈では一目も何目も?置かれた変人のようだった。それでともかく読んでみないわけにはいかないだろう、と読んでみて、最後の方ではむしろウスペンスキーのほうが信頼できるな、という気分になっていた。

それで検索して知ったのが『新しい宇宙像』である。

この本は、グルジェフに師事した後に書かれているので、ウスペンスキーの集大成なのではないかと私は思っている。(そういう記述をウェブ上のどこかで見たような気もするんだけど今見つけられない。)

『奇蹟を求めて』はグルジェフの思想が難解過ぎるためにほとんど理解できなかった。しかしウスペンスキーが自らの言葉で自らの思想を語るならもう少しわかりやすいのではないか、という期待もあった。しかしそれについては今のところ裏切られている。神秘思想を突き詰めるような人はそもそもが難解なのかもしれない。(私含め?)

グルジェフにしろウスペンスキーにしろ、理解できないと言っても「そんなわけないだろ」という意味ではなく、私の頭が足りないだけである。


秘教の知識は直接の口伝に基づいているが、人は秘教の観念を直接学ぶ可能性を得る前に、通常の手段で、つまり歴史、宗教、哲学の研究を通じて、秘教について知りうることすべてを学んでおかねばならない。そして求めなければならない。というのは、奇蹟の世界への門は求める者にのみ開かれるからである。(上巻 P.46)

秘教の知識は求める者、ある一定の意識をもってそれを求める者、つまりそれがいかに普通の知識と異なり、それがいかに見出されるかを知っている者にだけ与えることができる。この準備的な知識は、誰にでも接触できる既存の文献などの通常の手段で得ることができる。そしてこの準備的知識の取得は最初のテストとみなされる。この最初のテストを通過した者、つまり既存の資料から必要な知識を取得した者だけが、次の段階に進むことができる。(上巻 P.47)

言ってることはめちゃくちゃよくわかる。真理を探究するならあらゆる角度からの検討が必要だし、宗教なり哲学なり既存の知識をまず学んでおかないと「自分が知らないだけだった」みたいな大きな過ちをおかすことになりかねない。そういう態度にはすごく共感するし、私もそうありたいと思ってあれこれかいつまんで来たけれど、なにぶんキャパが小さいもので、勉強してもすぐ忘れてしまう。周りを見渡すと、そんなこととは無縁でありながら人生を謳歌しているように見える人たちがあちこちにいる。

自分には無理かもしれない。仲間を見つけることすらできずにいるのに。それなのにこれを続けていく意味はあるんだろうか、と思いながら、まるでそれが私に宿命づけられた道であるかのように、何かを目指している。

私が目指しているのはいったい何なのか。むしろそれこそが知りたくてやっているのかもしれない。


奇蹟を求めて - 株式会社 平河出版社

新しい宇宙像 上 | コスモスライブラリー

[2023-06-15 14:50]