N-moca DEEP

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

社会問題と自己責任と自己改革とDIY精神

昨日ツイッターで、マインドフルネスのネガティブな側面と自己責任論を絡めて批判している記事が話題になっているのを見てからずっとモヤモヤしている。

その記事の論点は、自分を変えることに集中することで社会課題から目を逸らしかえって課題を増長させている、というような内容と解釈していいと思う。もちろんそういう面もあるのだろう。だけど社会課題が、コミットすることで簡単に解決するならそら自分のこと棚上げして社会課題に取り組めばいいけど、なかなか簡単には変わっていかない生きづらい社会の中で、それでも人は生きていくしかない。そうでなければ死ぬしかない、それを自殺と呼ぶ。

誰もが自分の人生の指揮官であり、もちろん社会構造や取り巻く環境は大きく影響するためそれは無視できないとは言え、そういう中で自分の人生をどのように運んでいくかはその人に任されている。

少しでも心地よく生きていくために、自分の振る舞いをどのように整えていくかは重要なポイントになる。まずは自分と向き合い自分を知り尽くすことが必要で、そうする中で他人への寛容さも育まれていくものだし、建設的な態度を取る技術も身についていくものだ。

そうではなく、自分を変えようともせず周囲を変えることだけに執着していれば、全然変わらない周囲に対して苛立ち続けるかそういうものだと諦めて半ば人生を捨てたような生き方をするかしかないんじゃないか。

同じ状況に対してどのように対処するかは、精神的な成長度合いの問題であり、そこを放置するかそれとも鍛錬し習得していくかの違いで大きく変わる。現実に私は「周囲ではなく自分が変わる」という課題にぶち当たった時、なかなか変われない自分に失望したりしながら徹底的に自分と向き合い、次第に苛立つ相手を受け入れる術を身に着け、相手に対する態度を変えたことで、相手の反応も変わっていった。


社会構造や社会問題と自己責任論はごちゃ混ぜにして非難されることが多い。たしかに問題の側でも「自己責任」という言葉を都合よく使っていることも多く見受けられ、それは社会問題の中の要素の一つだとは言える。

だけどそれと「自己責任」とは本質的には別の問題であるはずだ。自分の人生に責任を持つ、とは、自分の言動や振る舞いや思考に責任を持つということであり、それができるからこそ他者への寛容さを表現できる余裕が生まれる。

そういう人々が集まると、皆自分の言動には責任を持っているので、社会的な問題が起きたときにも建設的な解決策を練ることができる。


私はずっとこの「自己責任論」への批判に対してうまい返しがしたいと思いながらなかなか自分の中でも整理がつかずにいるけれど、私が考えている「自己責任」と「DIY精神」はかなり似たところがある。というか私の中では同義と言ってもいいかもしれない。そしてそれは「依存心」の問題でもある。

自分の脚でしっかり立つ、まずその意識がないまま社会構造や政治や支配者層に対して文句ばかり言ってても自分が気分悪くなるだけだと私は思うんだけど、社会批判が生きがいみたいになっている人々はそうでもないのだろうか。

自分の人生だもの、できるだけ心地よく生きていきたい。そのためにはまず自分が変わるのが手っ取り早いのだ。

[2023-02-13 12:33]