占いは昔から心惹かれるものでありつつ同時に後ろめたさも併せ持つ存在だった。近づいたり離れたりしながらずっと付き合ってきた。
石井ゆかりさんの占いと出会った十年ほど前から、西洋占星術って案外根拠のないふわふわしたものでもなく、始まりは天文学だったということも知って、ますます興味の対象になった。
ゆかりさん以降、ツイッターでも星占いを発信する人がドッと増えたと思う。占星術に世間的な注目も集まり、真剣に学ぶ人も増えた。私自身は学びかけても複雑なので挫折、ということを繰り返しながらも、度々やっぱり真剣に学ぼうという気になって、ここ数ヶ月あたりも占星術の真相を解明しようと向き合ってきた。
度々挫折するのは、根本に「これをやってて意味があるのか」ということがあるからで、当たり前だけど活かせる人には意味があるし活かせない人には意味がない。ただ、パズル遊びのようなところはあって、ある程度知識があればそれなりに楽しめるとは思う。
私が占星術を持ち出したくなるのはたいてい精神的にキツイ時期で、ああ今星がこういう角度を作っているからその影響でこんなにしんどい思いをしているのか、と思えることは、多少なりとも精神的なサポートになる。
だけど例えば今日。特別個人的に精神的キツさを感じないけれど、星はこんな具合で、、
赤い線がいっぱい走っていて、見るからにしんどそうである。
度々挫折した時にいつも思うことだけど、占星術で未来を読むと役に立つのは、前もって何か精神的にキツイことがありそうっていう覚悟ができるということだと思う。でも人はふいに現れた予想外の出来事には反射的に本音が出てしまったりするし、そうなると「あー、、わかってたのに」と余計な自分責めを加えるだけになったりしかねない。
それに、何かキツイことがありそうっていう配置じゃなかったのにキツイことがあることもあるわけで、結局のところ、物事に対してどう対処するか、というだけの話だったりする。
そう納得して占星術から離れるんだけど、またキツイ時にホロスコープを見てちょっと納得してもっと詳しく知りたいと勉強を再開する、という繰り返しでここまで来ているな、ということを自覚した今日の午前だった。
占星術とのつきあい方、と検索すると、以前に読んだことのあった鏡さんとしいたけさんの対談がヒットした。
▶鏡リュウジ&しいたけ.が語る「占いとのつきあい方」って? | VOGUE JAPAN
その最後のまとめで、鏡さんの言葉として「占いをエンターテインメントとして楽しむ余裕を持ってみよう。 」と書いてあった。占いを実占で利用することにばかり目が向けられている、というような内容に、まったくもって私のことだな!と思った。
実占に利用するためもっと詳しく知りたい、いったい何が自分に影響しているのかと、より詳細に知ろう知ろうとしていたけど、それって「外側に答えを求める」ということと同じだと気付いた。
占星術が悪いものだとは思わないし、指針として利用するのも個人の自由だけど、外側に答えを求める人がそれをするとどうしたって依存的になりがちだと思う。星がどうあっても変わらず冷静に実直に物事に向き合っていけばいい。私の場合は占星術とは少し多めに距離を取ったほうがいいのかもしれないと思った。
このところ占星術に熱心になっていたけど、誕生日まであと半月というところでスッと熱は収まった。ということは、誕生日からの新しいスタートは、占星術とは関連がなさそうだ。語学か?スピリチュアルか?自分の直感をさらに研ぎ澄ませながら、目的地を定めていきたい。
[Posted at 13:25]