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カルト宗教が話題になっている

カルト宗教というものがあることを知ったのはいつだっただろうか。統一教会もそのうちの一つだという認識はあったはずだけど、要注意団体として意識から遠ざけるようにしていたし、最近はあまり名前を聞かないので、創価学会のような大教団と同じようなもので、信者にしかわからない世界があるのだろう、という程度に思っていた。

まさかいまだに超古典的な「壺を買わせる」なんてことをやっているとは想像もしなかったし、金を貢がされるのだろうとは思っていても、破産に追い込まれるほどのやり方をしているとは知らなかった。安倍さんを銃撃した犯人もさぞかし辛かったことだろう、とは思っていたけど、本人が聞いたらそんな言葉すら上滑りしていただろうと思う。

私は宗教にしろスピリチュアルにしろ、根本的には肯定していて、そこに権力者の意図が加わるからおかしな方向に行ってしまうのだと思っている。最初に体のいい言葉に酔わされて、一度でもその中に組み入れられてしまったら途中で目覚めてももう遅く、外に出られなくなってしまう。多くの宗教団体がそういうものだからこそ、「宗教」という言葉に本来無関係な印象が纏わりついている。「スピリチュアル」にしても同じこと。そのことが残念なような悔しいような気持ちをずっと抱き続けている。

宗教団体は団体であるがゆえに、どのような宗教であってもいくらかは道を外れるような面があるのではないかと思う。そもそも宗教とは名乗っていなくても団体の団結が強ければそれはもはや宗教と呼ぶにふさわしい面も出てくる。本当は宗教かどうかは関係ないのかもしれない。それは宗教の問題ではなくて団体であるがゆえの問題ではないか。

ともあれカルト宗教に今また光が当たっているのは悪いことではない。と言ってもこれもすぐ下火になって結局苦しむ人は減らないのかもしれないけれど、人々が考えるきっかけを与えられているということで、それをうまく活用する人が多ければいいなと思う。

[Posted at 14:00]