N-moca DEEP

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

羞恥心のこと

間違えたことや勘違いだったことに気付いた時、恥ずかしさに襲われる。

この恥ずかしいという感覚は恐ろしく、それを避けたいがために「間違いを恐れ言動を控える」という選択がされやすいのだと思う。

昔テレビを見ていた時のこと、出演していた売り出し中の女性タレントがかわいいミスをして、彼女は拗ねてしまった。おそらく自分でもそのことが情けなく、なおさら拗ねる原因になったのだと思う。

私が同じ立場だったらそうなっていた可能性はかなり高いし、彼女に同情した。でもそれが精神的な幼さの現れであり、人前では醜いことだということも学んだ。

つまり「恥ずかしい!」と思った時、その感情をうまくいなして開き直って自分で笑えるというのは、精神的なレベルでいうとそれができないより高いということ。

とくに、それが昔は難しかったけど、だんだんに開き直れるようになってきた、という場合は成長したと言える。

一方で、もともと恥ずかしいとは思わない人もいる。というか、いるらしい。世間を見ていると。これはこれで問題で、恥ずかしいと思わないので他人にどう思われようと気に留めず、それゆえに他人に迷惑をかけるようなこともできてしまうのだろうと思う。ゴミをポイ捨てしたり、並んでいる列に割り込んだりというようなこと。

こういう人たちには、それは恥ずかしいことなんだ、という感覚を持ってもらわないといけないし、羞恥心を恐れすぎている人には、恥ずかしいという気持ちを超える訓練が必要になる。

人はそれぞれ置かれている環境や生来の性格によって言動が異なるわけで、誰かに必要なことが誰かには障害だったりするし、すべての人に通用することなんて、あまりないのかもしれない。

ともかく私は羞恥心を超えないといけないタイプで、それゆえに昨年辺りから意識しているつもりだけど、それだけに他人からは恥ずかしい人に見えている可能性もあって。。

まったく、感情の取り扱いとは難しいものです。

とりあえず、レジで財布を忘れたことに気付いた程度の恥ずかしさは超えていることは、昨日確認できた。間違えた自分を受け入れる、という精神的課題。

人生80年としてだいたい今が折り返し辺りだと思うけど、全部クリアしようと思うと全然時間が足りない。そういう歩みの遅さを認めて受け入れるというのも、同じような類の課題かもしれない。