昨日はついついツイッターに愚痴をぶちまけてしまったほど絶望した夜だったけど、私はぜったいに物理的に自分を傷つけたりはしない。なんでって翌朝めんどくさいことになることが予想できるから。
ひたすら自分を虐めるよりさっさと寝てしまうとか気を逸らすとかしてその渦に飲み込まれないように試行錯誤した翌朝は、たいてい快晴で日の出が美しい。太陽は天照、きっとそれでいいのだよと言ってくれているのだと思う。
人それぞれに悩みはあり、共通する悩みを持つもの同士、のように思えても、そこに至るまでの人生の経緯は人それぞれだからどうしたって悩みについては孤独になってしまいがち。誰かに頼れるなら頼った方がいい、でも私には思い浮かぶ人がいない。
そういうとき、とにかく客観的に状況を眺める努力をするとか、関係ない動画とか見ておもんねーと思ってるうちにクスッと笑えるものに出会えたらそれでよくてとにかく気を逸らすこと。
怖いのは悩みに取り憑かれてしまうことであって、人は悩みやネガティブな思い込みにフォーカスを当てるようにできている、と思う。それは仕様、その上でその仕様を改善する努力をすること、どうすれば悩みにフォーカスせずに済むか。
そうは言っても渦に飲み込まれる時はある、そのときはそれでいい。もし状況が許すなら、のたうち回ったり思いっきり泣いたり叫んだりするのがいい。そうして悲観的なセルフイメージに飲み込まれ、もうここから脱出できないと絶望したとしても、明日になったら何かが変わるかもしれない可能性を諦めてしまわないことがとにかく大事。
それは別に意識しなくていいけど、逆に言うと無意識のレベルでそのことがわかっている必要があって、もしかしたらそこが絶望の縁に立った後の生死を分けるポイントかもしれない。
とにかく生きることをやめないこと。そうしないと望む未来がやってくることは絶対にないから。
客観的に状況を眺めるために、ホロスコープは役立つ。それは天候に影響を受けて大変な目に遭っている人を眺めるようなもの。今こういう配置だからこれが影響してるのだろうか、と考えるだけでも、悩みの外に出られる。その読みが正解とは限らないけど、悩みの外に出られたなら、それだけで正解なのです。