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グラミー賞と戦争


ゼレンスキー大統領「静寂を音楽で埋めて」 グラミー賞授賞式で訴え(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

日に日にロシアによるウクライナ侵攻のニュースが残虐さを増し、他国民として情報を自分の中でどう処理していいかわからない感覚が増している。

ゼレンスキー大統領のグラミー賞での呼びかけは当事国ではない国への配慮が感じられる紳士的なものだと感じるけど(ネットニュースを読んだだけの感想)、内心グラミーどころではない、そんなことやってる場合かって思いもあるのではないだろうか、、

かと言って世界中がこの侵略戦争に心を集中させることに意味はないと思う。サポートや制裁は必要で、それによって物価が上がるなどの影響があったとしてそれを受け入れる態度は求められて当然だとしても、日常をできるだけ明るい気持ちで過ごすことを優先する、またそのためにできるだけ疲弊する情報からは離れるといったことも必要だろうと思う。

それでも、ロシア軍が撤退時に地雷を埋めているかもっていうニュースとか、大量虐殺のニュースとか、どう受け止めたらいいのかわからない。

人間は「わからない」という状態を最も苦手とすると思っている。わかればそれに対処すればいいけど、わからないからどう対処したらいいのかがわからず、それがストレスになる。

そうは言っても時間が止まることはなく、それぞれに日々を過ごしていく以外にないのであり、当事国に直接の関係者がいるとかサポートしたいという特別な意思があるとかではない限り、やっぱり結局なにごともなかったかのように日々を過ごし、そして時々寄付をするくらいのことしかできないのだと思う。それで十分だと思うけど、なんとなく本当はもっとできることがあるのに目を背けているような、背徳感も、なくはない。

引き続きプーチン宮殿の動画を見ているけど、感覚が麻痺しているという意味ではジャンキーみたいなものではないか。日本では大麻を所持しているだけでも大げさに処分されるのに、ジャンキーが国を支配し大量に人を殺しているこの状況を経て、その人物がロシアで信頼を失い政治を引退したとしてもプーチン宮殿のような贅を尽くしたどこかでのうのうと暮らしていくのだとしたら、SDGsとか掲げる前にやるべきことがあるような気がする。

グラミー賞が悪いわけじゃない。わかっているけどなんともバランスの取りづらいニュースだな、と思った。