N-moca DEEP

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

ブログを書く理由

私の場合、なぜオンラインに書くのかをずっと考えてきた。誰も読みに来なくてもオンラインじゃないと意味がなかった。非公開でアカウントを作ってみても全然続かないし、オフラインで書くことですっきりしたりもするけど、やっぱりオンラインじゃないと満たされないと感じることも多々ある。

たとえば、社会を眺めて(これは…)と思った気持ちを自分一人の中に閉じ込めていられない。それは今日あったことを親しい誰かに話したくなるのとまったく同じで、ふさわしい相手がいないのでネットに書くことで満足しているのだと思う。

今の私からは想像もつかないかもしれないけど、本当に十年前の私にはファン友がいっぱいいたのだ。でもファン歴が長引くに連れ、たとえば社会問題であったり将来の不安、スピリチュアルな話題など、友だちの前では敬遠される話題を我慢していられない気持ちから徐々に離れていった。決定的だったのはとくに仲が良かった人たちとそれぞれに問題が生じたことで、それは私の性格の問題とも言い換えられ、それゆえに友だちをつくるということに過剰に慎重になった。今もまだどうしたらいいのかわからない。

私にとってオンラインで書く場所があるというのはもうほとんど心の居場所と言って良く、そこに誰もいなかったとしても他に居場所を求められない。たぶんモテる人にはわからない悩みかもしれない。食事に誘ってもやんわり断られ、成り行きで二人で過ごす時間が多くても話が続かず気まずい思いをするようなことばかり経験していたら、もう一人のほうが楽だと思ってしまうものなのです。仲間がいる楽しさは知っているけど。私には苦痛のほうが多かった。

これは私の人生の最大の難所であり、これを超えるために生まれてきたのだと思うから、なんとかしたいとは思っている。でもそれは私にとってあまりにも巨大な壁で、私の人生を制限する最大の問題。これを超えないと私は死ぬまで今のままで、親が長生きして他界した頃には自分が高齢になっていて、福祉サービスなどを利用しながら一人でなんとかやっていくのが精一杯だろう。せめて心を許せる友人仲間が何人か居れば、まだそれなりに楽しく生きていけるかも知れない。

そのためには若いうちからなんとかしたい。でも無理に動いた時に自分がどういう感情を抱いてどういう振る舞いをするかっていうのは過去の経験からわかっているからね。無駄に傷つくことはしたくない。そこから回復するためには時間も必要。だから人付き合いには人一倍慎重になっている。

それでも日々自分が生きていることを確認するかのように様々な感情や考えが湧いてきて、それを表現せずにはいられない。そのための場所を提供してくれるブログって私にとってはセルフヘルプの場所とも言えるかも知れない。

ツイッターでもいいんだけど、ツイッターよりはブログのほうが自制心が効きやすく、余計なことをオンラインに載せずに済む確率が高まる。ブログでも余計なこと書いてるかもしれんけど。。

昔々ツイッターのプロフィールに「表現しないと生きていけない」とだけ書いている人がいて、当時の私は懐疑的な思いで受け止めたけど今はよくわかる。表現するって、自分を認めることなのです。