N-moca DEEP

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

現時点の人生観

人生とは不思議なものだ。

ある選択が何かを招いたようでもあり、どんな選択をしてもじつは同じ方向に向かっているようでもある。

スピリチュアルでは、人生は選択の連続のように見えてじつはあらかじめ決まっているストーリーをなぞっているだけだ、と考える一派がある。

私はそこまで冷めた価値観ではないけれど、ある特定の瞬間の自分が被っている条件は、過去の自分の言動が積み重なった結果である以上、たとえその時点に戻ることができたとしても、その時点より後で学んだことは持って行けないわけだから、結局同じ選択をすることになると思っている。

その瞬間の社会的地位、自分を取り巻く環境や人間関係、精神的レベル、身体的状態、感情、疲労感など…。そういうあらゆることが複雑に絡み合った条件の結果としてその選択に至ったわけで、その事自体そうなるしかなかったのだと思っている。

だから、すでに決まっているストーリーをなぞっているだけとする考えと同じなのかもしれない。未来はこれからの自分の選択次第で変えられるようでいて、これから先の自分がどういう選択をしたとしても、その時点の条件の自分は結局それを選択するのだろうと思う。

確実なのは未来がどうなるかはわからないということで、その意味では運命が決まっているとかどうとかは関係がない。その瞬間の自分がとれる最善を選ぶことだけ考えていればよく、また、その瞬間の自分がイメージできる理想の言動というものがあったとしても、それを選択できなかったのは最善を選べなかったわけではなく、結果的に取った言動こそが、その時点の条件の自分にとっての最善なのだ。


などと書いてみたら、考え過ぎて思考回路までこじらせてしまった人みたいに見えなくもないけど。

そして運命が決まっているとする説は、現状大惨事に遭っている人に対してはめちゃくちゃ辛辣な説となり、さらに追い打ちをかけるだけになる。そこはもう、そういう人に「そうなる運命だったのだからしかたないね」など到底言えないわけで、これは自分だけに通用することなのかもしれない、と考えるしかない。

ただ、自分としては過去の失敗も傷もじつはすべて表面的なものであって、奥の奥の方にある本質まで傷つくものではないとわかっている。

もちろん表面的な傷だって十分痛いけれど、それがなければ気付けなかったこともある。少なくとも表面的な傷は本人次第で活用できる、というより活用しないと無駄になる。ただ痛いだけで終わるのはもったいない。より良い自分になるチャンスが与えられているということだから。

すり傷や切り傷は日々の小さな学び、手術のように深くメスを入れることで大きく理解が深まることもある。

何に価値を置き、どういう人生を選ぶかはその人の問題で他人が口出しすることじゃない。でも自分もまた他人の価値観に左右される必要はなく、自分が選びたいことを選んでいけばいい。

それが結果的にあらかじめ決まっているストーリーをなぞっているだけかどうかなんて、どうでもよくて考えても意味がない。

簡単にまとめると、まあぼちぼちいこらよってことです。