N-moca DEEP

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

SDGsの時代

アル・ゴアの不都合な真実で大いに感化され一消費者として環境問題について真剣に向き合おうとしていた時代があった。ちょうどベジタリアンになることを決意した頃だ。その後、ベジタリアンについても、環境問題についても、そう簡単に断罪するようなことはできないこと、良いことを言ってるように見える側にも問題や裏があることに気付き、急速に興味を失った。

しかしグレタさんの抵抗を発端とした昨今のSDGsの盛り上がりから、再び私自身も試行錯誤を避けて通れない時代になったなと思う。

個人の消費者ができることをいくら実践したところで、そこに制限の感情が伴うならば長続きはせず、ストレスを溜めることになったとしたら別のところで悪影響が及ぶ。それでは意味がない。やっぱり結局企業が先導する以外に大きく進展させられる見込みはないのだと思う。

但し企業は消費者のニーズに応えないと利益が生み出せないので、消費者の一人ひとりが学び、賢い選択をしていくことは、地球環境の汚染のスピードを抑制するために役立つとは言えるかもしれない。

企業が環境問題を優先できれば問題は解決しそうだけど、なかなかそうならないのは企業の存在理由と環境保護が矛盾しているからなのだろうと思う。

そもそも人間はただ生活しているだけでなんらかの形で地球に負担をかける。現代文明を捨てても地球環境に配慮した生活を選びたい、とする人がいるなら素晴らしいことだとは思うけれど、それをすべての人に押し付けるわけにはいかない。そういう時代に生まれてこれまで生きてきたのだから。

とは言え社会はいまだに大量生産大量消費から抜け出せず、地球はますます汚れていっている。まずは個人が必要以上に買わないということ、高くても長く使えるものを選ぶことなどが、個人としてできることだと思う。けれどもそれをもしすべての人が実践して、企業が必要とされるギリギリの量しか生産しなかったら、それだけ生産活動に携わるために必要な人材も少なくなる。

私は、環境問題の根本って、雇用問題じゃないかと思っている。本当は必要ないものを作り、欲しいと思わせて買わせるという無駄な活動は、それによってごはんを食べられる人がいるからやっている。ちょうど、ロシアのチャンネル1で政府に反対だけど家族を養うために辞められないスタッフのようなもの。わかっているけどそうするしかない。解決方法があるなら教えてくれよと。

社会はこれからどうなっていくのだろうね。。一般市民にはたいしたことはできない。そこを恥じる必要もない。でも無理をしなくても選べるエコならば選んだほうがいい。それはのちのち自己信頼という利益になる。

まとめ

・環境保護を進展させるには企業の先導が必須
・企業の選択を誘導するべく消費者が学ぶ必要がある
・個々人が無理なく選べる活動を選んでいくことは、自己信頼にもつながる