【仏教版】知らないと人生がつらくなる3つの事実、ってことで見てみた。
そこで紹介されていたエピソードにちょっと首を傾げた、というか考え込んでしまったことがあるので書いておこうと思う。
ある僧が修行の座禅で休んでいると、近くの馬場に一人の立派な武士が馬の稽古にやってきた。それとなく見ていると、どうやら馬のご機嫌が悪く思い通りにならないらしい。武士は怒鳴りながら馬を責めている。それを見て僧が「何のざまだ!」と叱ったが、武士は聞く様子もなく相変わらず馬に鞭を打っている。僧がさらに大声で叱ると武士は馬から降りて近づいてきて、教えを請うた。
僧は言った、「馬にも馬の事情があるのだから馬を責めるのではなく、馬が言うことを聞くように仕向けないといけない。まず自分の態度を改めることだ」。武士は素直に受け入れ、態度を改め再び馬に乗った。すると馬は打って変わって言うことをきくようになった。
このように、相手が悪いのだと責めるのではなく、まず自分の態度を改めることが大切なのです。
私流の要約なので詳しくは動画を御覧いただきたい。
言ってることはわかるしまあそのとおりだと思うけど、まず第一に武士が素直過ぎるってこと。こういう言動をしている人に、ちょっと叱られたからってすぐ素直に自分が悪かったと認められる人なんてそうそういないと思う。さらに自分が態度を改めたからって相手が即座に態度を変えるなんて、相手が動物でもちょっと簡単過ぎる。動物だって学習して疑心暗鬼になるものだ。
それから叱ってる僧本人はどうなのか。怒鳴って叱って諭すって、「思い通りにならない相手を責める」のとどう違うの??このエピソードの状況で言うなら、僧は「何のざまだ!」とか叱るのではなく、黄門様みたいな感じでおおらかにやさしく呼びかけこちらから近づいて諭すのが筋では?
そういうことを考え合わせると、私にはこの時点での心の器は武士のほうが大きいように感じる。決してこの僧が偉いようには見えない。まあその場を目撃しないとほんとのところはわからんけどな。
コメント欄をちらっと見た限りではそういうこと言ってる人はいないようす。だいたいこういう感じの、何らかの教えの発信などのコメント欄ではやたら褒めたり勉強になったとか持ち上げるのがウケるようで、そういうコメントの人同士が繋がっていくように見える。私にはそれが馴れ合いに見えてどうもすっきりしない。このコメント欄で同調して受け入れてもらって仲間になりたいとか思えない。
だから私はいつまで経っても孤独なのだ。
私が心を許して仲間と思える人たち、どこにいるの~。ずっと探してるのに。
何かを勘違いしてるんだろうなあ、、とは思うけどね。(泣)
[Posted at 14:55]