N-moca DEEP

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

夢は果てしなく高いことを知った

目指すべき場所はなかなか決められずにいて今も試行錯誤で1ミリずつ進んでいるところだけど、「こうありたい」とか「こういう自分を卒業したい」とかいうことは漠然としながらもいろいろある。

その中の一つが「汝の隣人を愛せよ」ということで、隣人がどういう信念を持っているかにかかわらず仲良くすること。安倍さんを好きな人でもその人自身が悪い人じゃなかったら仲良くする、ということ。

でも今朝YouTubeのホーム画面をスクロールしていたときに某チャンネルのコミュニティが流れてきて、明言は避けても安倍さんが死んでからずっと喪失感を抱えている、というようなことを書いているのを読んで虫唾が走り、勢いでチャンネル登録を解除した。今後その人の顔を見たら警戒心が表れるだろうと思う。


その人自身は悪い人ではないと思うし、こんなことでは到底「汝の隣人を愛せよ」の境地には辿り着けない。でもそれによって「その人がどういう思想を持っていても持っていなくても同じように接する」ということが、私の夢の一つなんだということが明確になった。

安倍さんの言動についてメディアが問題視してきたことの多さを思えば、仮にそれが切り抜き編集で印象の悪さを強調するものだったとしても事実だけで十分嫌悪されて当然の人物だと私は思う。だけどそうじゃない人のほうが多いらしいということは、国葬を望む声の多さに表れている。それはただ知らないだけなのかもしれないし、知っているけど必要悪と思っているのかもしれない。

そこのところがどうであってもそれはそれとしてその人との仲をこじらせる理由にはしない、ということが「隣人を愛する」ということである。そしてそれはつまりめちゃくちゃに度量が大きいということだ。

たとえば安倍さんのことを特別嫌いだと思っている人たちがいることは知っていても、報道されてきた安倍さんの悪行をよく知らなかったがゆえに安倍さんに対しては良い印象しかなく、さらに死に際してまで、その上暗殺という悲劇にあってまでなお過去の問題を持ち出し批判するということに器量の狭さを感じて苛立っている人は、ツイッターを眺めていてもポツポツ見受けられる。そういう人に向かってこれこれこういう事実を知ってもまだ考えは変わらないのか?と迫ったとしても、すでにそういう人に対して心の扉は閉じているのでむしろ関係が悪化するだけだ。

論理で説き伏せようとしても相手の心を変えることまでは難しい。反発心は反発心しか生まない。であればこちらが相手の未熟さや無知に対して寛容であるしかなく、また自分自身の未熟さや無知に対しても思いを巡らす余裕を持つしかないけど、その難しさをどうやって超えればいいのか。

この壁は果てしなく高く、今回の人生で到達できないかもしれない。ともあれ目標であることはわかった。


人間として地球という物質次元に生まれてきているわけなので、それができないほうが普通だと思う。それを克服していくためにそういう環境が与えられているのだと思う。

注意すべきことは自分の信念にしがみついて他者を排斥する方向に執着すること。思えばそういう人生だった、だから今周囲に人がいないのだ。だけどそういうところが私の問題なのだということがわかっていなかったからでもあるし、わかったからにはそことどう向き合っていくかが新たな課題として設定された。おそらく月末の新月から始まる大きなテーマがそれなのだろうと思う。

これまでの人生がこのテーマにおける第1部だった。第2部が幕を開け、順調に高みを目指して歩みを進めていくストーリーにできるかが試されている。

[Posted at 11:45]