ちょっと前(だいぶ?)に、あるバンドが好きすぎて自分のアイコンに彼らの今も現役で使っているアーティスト写真を使っている人がいて、おそらく無断使用なのだろうと思ったので、悪い人ではなさそうだったのは承知の上で一言言っておかねばと思い、そういうことされるのファンの一人としてうれしくないとリプライで伝えたことがある。
相手に対しては失礼のないように気をつけたつもりだけど、かなり頭にキていたのもあって、自分のプロフィールページにはそういう行為についてほとんど糾弾するくらいの強い口調のツイートを残していた。
もちろんその人だけではなく、検索で気付いた人も見に来るだろうと見越してのこと。
その人は案の定すぐに取り下げてくれたけど、まさか自分が悪いことをしているなんて思いもよらなかったのに叱られたことが深く傷になったのだろう、しばらくして鍵をかけてしまったと思ったら、もうツイッターをやめると宣言していた。
幸いその人には心優しいフォロワーがたくさんいて、引き留める人、優しい声をかける人がいっぱいいたことも支えになったのだろう、しばらく休んだ後、ツイートを再開したようだった。
たびたびバンド名を出すツイートをしてたのに最近見ないな、と気になっていたところ、今日たまたまアイコンを見かけたので久々にその人のプロフィールページにお邪魔した(というか勝手に見ただけですが)。
すると…抗うつ剤を飲んでいてしかも薬が増えているという。バンドのことはしっかり今も好きみたいだった。それを読んで以来、頭の中がモヤモヤぐるぐるしている。
私だってこれもううつ病かなと思ったことは数え切れないくらいある。でも絶対に薬だけは飲まないと決めていたから、クリニックにも行かなかった。その代わり徹底的に自分に向き合ってきたし、メンタルの構造やしくみを自分なりに解明したくて、関係ありそうな分野の本を読みあさってきた。それらの本で得られた情報は試してみたし、自分には合わないと思ったらすぐやめた。
他人から見てどう見えているかわからないけど、私は私なりにもがいてきた。
その結果、得られたこと。これを発言権の強い立場で言っちゃうと炎上必至なんだけど私は幸い発言力がないから言うと、結局人生は自己責任なのだ。
もちろん人それぞれ素質は違うから、誰でもがんばったら何かのトップに立てるとかはない。なかなか芽が出ないのはその人の責任、とかいうようなことを言ってるわけではない。
それから精神薬が功を奏して回復している人もいるわけだから、一概に非難できるわけでもない。
だけどメンタルで薬が必要な人というのはだいたいが自分を大事にするということをちゃんと理解できていないと思う。だからメンタルのほうからそれを知らせに来てるのだ。もっと自分をちゃんと見て、ちゃんと愛してって。
薬なんかで誤魔化そうとするなよって。
生きているとどうしたってしがらみというものは避けて通れない。そっちを優先して自分をどんどん削っていくと、そりゃ自分の魂は怒る。
そのためには相手に言いにくいこともちゃんと伝えるとか、その結果孤独になることとかも引き受けないとしかたなかったりする。
でも自分をよく見て、少ない、あまりどれも選びたくない選択肢の中からでも自分が一番選びたいものを選んでいく。
そうしているうちに自分が見えていなかったこととか、本当はどうでもよかったのに優先していたこととかがわかってくる。
自分を愛する、とか、ありのままを認める、というような言葉、具体的にわかりにくい。
わかりにくいから試行錯誤するのだ。その結果、本当の自分が見えてくる。
もっとこうしたらいいのに、と言ってあげたい、相談に乗ってあげたいと思うけど、今のその人にはふさわしくないことを言ってしまうかもしれないし、第一うつ病を患ってる人にはそういうお節介が最も厄介だったりする。
これからもたまにそっと覗いてみるだけに留めておこうと思う。
自分を愛するということの中には、自分のボディを愛するという分野も含まれていて、そこには軽い運動、体に良い食事、十分な睡眠などがある。
本当に自分を愛するには、やるべきことがいっぱいあるのだ。そういうことも含めて、すべては自己責任。
自己責任という言葉は他人を非難するために用いてはならないけれど、能動的な人生において、最も意識すべきことだと思っている。