N-moca DEEP

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

諦めが肝心

前にも書いたけれど、私は人生における選択は必然の結果だと思っている。

というか、本当は違うかもしれない、確認しようがないから。あの時ああしていれば、ああしなければ、と後から考えることなんてしょっちゅうあるけど、その時じっさいに、結果的に取ってしまった言動とは別の選択をできた可能性は絶対にない、とは言い切れない。

ただ、そんなふうに、善悪は別としてその時の自分に備わっている様々な条件の下では結果的にそれを選ぶことになっただろう、と考えておくと、過去の言動を諦めて受け入れるしかなくなる。

物事は一つ一つ終わらせることで次に進める。語学学習で言うと、参考書の単元を前から一つ一つ終わらせることで次に進める。先の内容をちょっとずつつまみ食いするみたいにあっち見てこっち見てってして、そもそも今やるべき単元を疎かにしていたら一向に前に進めない。

人生も同じで、日々いろいろなことが起きるけど、そこで湧き上がった感情を一つ一つ終わらせることで次に進めるのだ。

それを阻害する最大の敵が後悔というやつで、いつまでも自分の選択の失敗を悔やみ続けてしまう。手放しが必要で、その時に「あの時の自分はそのレベルの人間だった」と受け入れることで、手放せる可能性が高くなる。


人生が決まったストーリーをなぞっているだけかもしれない、という説は、人生を投げやりに過ごす理由に使うのではなく、むしろ前進するためにこそ、使えると思うのだ。

ネガティブな感情に支配されてしまう時に、無理矢理に押さえつけようとしたりなかったことにしようとするのは、表面上自分をごまかせても本音の自分は気付いている。繰り返しているとインナーチャイルドは暴れ出し、ある日突然しょうもないことでキレるという事件に発展する。

だから自分を説き伏せるのではなく、納得することが大事。そこで登場するのが、この考え方なのだ。

もちろん「その程度のレベルの自分」を受け入れること自体が難しいわけだけど、それは日々の積み重ねしかないだろうと思う。

納得する前に、怒りなり悔しさなり恥ずかしさなり、生じている感情は見て見ぬ振りせずしっかり感じること。それは精神的成長に必要なステップとして生じているのです。