N-moca DEEP

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

「叶うから今願っている」の話

引き寄せ系のリーダーとかがよく言うことにこんなのがある。

あなたはそれを叶えることができるから今願っているのだ。叶えることが到底できないようなことは願うことすらしない。

たとえば、トップアスリートを見てすごいなー!とは思っても、自分がそうなれたらいいのに、とは思わないだろう。

だけど自分より稼いでいるとか結婚しているとか容姿がいいとか、そういう友だちを見て羨ましく感じ、自分もああだったらいいのにと願ったりはする。それは、あなたにもその友だち程度のことは叶えられる可能性があるからだ。

だいたいこんな感じかなと思う。

これについて私がそうかもな、と思った経験例をあげてみよう。

高校から大学の頃。私は「洋楽を聴ける人になりたい」「インディーズ音楽を探してこられる人になりたい」と思っていた。なんかかっこいい。ただそれだけだった。でも当時の私はなぜか洋楽を受け付けなかった。全然体の中に入ってくる感じがしなくて、続けて聴くということができなかった。それにテレビや雑誌に載っているようなアーティストしか知らなかった。どうやったら隠れているけど優れたアーティストを探せるのだろうと不思議に思っていた。そういう自分がかっこ悪いように思えて悔しかった。だけど別にそれを改善するために何か努力した、ということはない。

ただ、そういう自分になりたいと思っていたから、折に触れて洋楽をレンタルしてきて聴いてみたり、インディーズだと言われるものに関心を向けたりしてきた。すると少しずつそちらに道ができてきたのだろうか。今の私は大手レコード会社に所属しているかどうかにかかわらず、国内外問わず、自分のアンテナに沿った音楽を拾えるようになった。結果的に今、「洋楽のインディーズ音楽を聴く人」になった。


この経験から言って、漠然とそうだったらいいなと思いながら少しずつ近づいていくと、最終的にその時望んでいた自分になっているということなんだと思う。

最初からどうしても洋楽やインディーズ音楽を聴ける人にならないとダメなんだと固執して、自分が心地良いと感じるわけでもないのに洋楽ばかり聴いたり、うまいか下手か好きか嫌いかにかかわらず、レコード店などでインディーズと表示されているものを片っ端から聴くとか、明らかに「努力」「執着」みたいな方向性で密着していたとしたら、もちろんそれに長けた可能性がないとは言わないけど、どっちかと言うとほとほと嫌になって近づきたくもないものになってしまっていた可能性のほうがきっと高い。

それが、引き寄せ系の人が、ふんわり願う程度でちょうどよくて、どうしてもこうじゃないとダメなんだー!と思い込むと逆にうまく進めなくなるっていうことなのだと思う。


で。

つまり、逆から言うと、叶う可能性はかなり高いけど今はまだその状態に至っていないことを人は願うということだ。

願っているということは叶うということで、そのためにはほどほどに近づいていくくらいでいいってことではないか?

トップアスリートなどを見ると、どうしても人から見えないところで続けている千本ノックとか、なんかそういう地道な基礎トレーニングが必要なんだろうし、自分も努力と言えるようなものをしていないと不安になって、楽しくないのに続けてしまうことってあると思う。だけど成功する人はきっと、必要な基礎トレーニングを続けるやり方がうまいのだ。息の抜き方とか。休み方、効率の悪さを考慮できるというか。

こうなったらいいな、と思うことがあるなら最初から100%そこに力を注ぎ込むのではなく、ちょっとずつ近づいていく、きっとそれで十分なのだと思う。

もしかしたらもっと頑張っていればもっと上に行けたかもしれないのに、と人から言われたり自分でも思ったりするかもしれないけど、じっさいはどうなるかわからないし、最終的に叶った程度が自分の今生での器だったのかもしれない。

いつだって肩の力を抜くのは大事なこと。行き詰まっているときは、きっと肩に力が入っている。そこらへんをうまくコントロールできるようになりたい。

[Posted at 11:25]