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仕事のこと【2023年始所感】

2023年が始まった。このブログもずいぶん放置してしまっているけど、考えることは日々ある。ただ、なかなか文章化するには至っていない。

まずはやっぱり仕事のこと。仕事って何か、何のためにするのか、何をするのか、なぜそれをするのか。

大学卒業とともに実家に戻り、家業を手伝ってきてなんとなくで今まで来た。親元で働くという環境を卒業したいと何度も考えたし、それがピークに達したのが2020年末だった。12月の初めに、これはもうやっぱりどうしたって卒業しないといけないタイミングだ、と判断する出来事があり、それで会社員という立場は卒業できたけれど、親の仕事を進める上であまりにも私の存在が必要不可欠になってしまっていて、結局仕事の内容自体は大して変わっていない。

それでも私自身は不満があった部分を解消できたりして満足感は大きいけれど、親の満足感という点で言えばもしかして人として、社会の一員として正しくないことをしているのかもしれない、という罪悪感に似たものもある。これは親が仕事をやめるときまで続くだろうと思うし、その罪悪感は本来必要ないものだとも考えている。

それと同時に、親も高齢で仕事も減りそうで、親の仕事に頼ってばかりはいられない、という現実も待っている。じゃあ何をするのか、と考え始めると、冒頭の数々の問いかけがぐるぐる始まって疲れるだけで答えが見つからないままでいる。

そもそも自給自足で生涯を終えられるなら別に「仕事」なんて考える必要はない。けれどもなかなかそうもいかない。生活しているとどうしたってゴミは出るし、ゴミ処理のサービスを受けるために自治体に世話代として税金を払う必要もあるし、病院にかかることもないとは限らない、となると国民皆保険には従っておくべきだし、老後体が動かなくなった時に多少なりとも月々の支援をしてもらうために年金保険もかけておかないといけない。

もちろん、人生を楽しむためにもお金はかかる。良いものを食べたいし飲みたいし、楽しむための道具や自分を着飾る楽しみなど、お金はかけようと思えばいくらでもかけられる。稼ぎが多いに越したことはない。

じゃあ何をするのか。できれば稼ぐことそのものが自分を豊かにするものであってほしい。そこにこだわるから難しくなるのだとは思う。でも何のための人生か、ただ稼ぐこと、そして稼いだお金でほどほどに楽しむこと?その人生は何のためにあったのだろうか?

そんな疑問を抱えつつも時間は止まってくれず、日々の生活のためにお金は必要で、多くの人が不満を抱えながら仕事をしているのだと思う。

45歳になっても今と同じ働き方をしているとしたら、やりたいとかやりたくないとか関係なく何か別のことを始めていたい、さすがに、と思っていた。今、その45歳である。親は75歳。地域でそこそこの信頼もあるので仕事が来るうちは何歳でも続けそうだ。しかし頭の回転、身体の衰えとともに、規模は縮小せざるを得ない。

さて、そこから仕事をもらっている私はどうするか。今年は仕事の転換の正念場かもしれないな。

[9:28]