N-moca DEEP

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

サイキックな女子高生をYouTubeで見つけた

ただ、語る子どもの語り口や人数は大いなる意思がコントロールしているようでもあり、どうせならもうちょい踏み込んで人々が信じられる形で教えてもらいたいものです、神さま。

胎内記憶のこと - 考えるブログ by N-moca

こんな言葉を投げかけていたからなのか。もうちょい踏み込んで信じられるチャンネルを見つけた。苦笑。

youtu.be

高校生のサイキック女子が、ガイドに質問を投げておいたら返してくれるっていう話をしてて、その後ブログを読み返していて、このチャンネルに引き合わされたことは私が投げた質問の答えだったと気付いた。こんなことを書いていたことすら忘れていた。

時々こんなふうにして、思いっきりスピリチュアルなものに出会う。自分を見失わないように慎重に取り扱っていると、そのうち正反対の思いっきり地球波動の情報に辿り着いたりする。そうして行ったり来たりしながら、私のスタンスを確立していっていて、だいぶバランスは取れてきた感じもするけど、まだまだ修行中だとは感じる。

お母さんのサオリさんが別の動画で言ってたけど、レインボーとかクリスタルな子どもたちは波動がめちゃめちゃ高いまま生まれてきているので、本当にフワフワしてるのだそうだ。だから地球で生きるために低次元のものを取り入れる必要があって、添加物だらけのお菓子ばっかり食べてたり、ゲームばっかりしてたりしてる、という考えに至っていると話されていた。

理屈として納得できるけど、それが行き過ぎるといくらレインボーだのクリスタルだの言っても本来の魂を忘れて地球色に染まってしまうのではないか。

昔から思ってたことだけど、私は自分が見えたりしない(というよりおそらく見えたり聞こえたりしないことを魂が選択してる)ので、スピリチュアルについて確信を持って発信できることはない。でも薄々感じてることというのはきっと多くの人にあって、一方で地球上で人間として生きていくためには社会の一員である必要があり、それだって大事なことだ。

この頃は旧統一教会の問題などもあり、なおさらスピリチュアルに対する風向きは厳しいかもしれない。信じないと決めた人は頑なに信じないことを貫こうとして、スピリチュアルを攻撃したりしてくる。一方でスピリチュアル界隈の方々は、傍目には社会の一員として誰もが負っている責任を棚に上げてスピリチュアル界隈のことしか考えてないように見え、無責任に見えたりもする。

そういう両極端な立場を取り持つ役割を引き受けてきた人たちもきっといて、私もそのうちの一人なのだと思う。表現方法はそれぞれに任されている。それも自分の責任であって、下手なことを言うと炎上するし、場合によっては導き手になるかもしれない。

このチャンネルの別の動画で、進行役のKalenさんが今の生き方に変化するまでの話をされていて、「怖いけど勇気を出してやってみる」という経験をしないと何も変わらないと仰っていて、共感した。私は今は引きこもりだけど、知識を熟成させる時期とか前準備の時期だって必要なのだと思っている。どのタイミングでチャレンジするかも人それぞれであり、今の私は絶賛準備中の時期。だからぼんやりしてる場合じゃない。たぶんイタリア語を自在に使えるようになったとき初めて、なぜ勉強したのかがわかるはず。今のレベルでは理由を教えてもらえない。まだそこに到達してないから。

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スピリチュアルの危ないところは、普通の人が見えたり聞こえたりしない世界と繋がれる人を、教祖に仕立ててしまう危険性。「その人の言いなり」みたいになるのが一番危ない。

逆に言うとそれが、そのスピリチュアリストが本物かどうかを見分けるポイントと言えるかもしれない。そういう能力だって希少価値があるもので相応の金額を頂いて仕事にするということはあっていいと思うけど、もう自分の手が届かないのに自分の名前を使ってビジネスに繋げる、さらには自分を崇めさせる、みたいなのは、始まりがどうであれその時点では既に詐欺師と言っていいと思う。

スピリチュアル的に学びが浅い段階ではなおさらのめり込んでしまい、もう絶対にそれしか正しくない、みたいなことになってしまいやすい。結果地球波動を忘れ、フワフワした生き方になり、地球波動の人たちから攻撃を受ける領域に追いやられてしまう。

とにかく大事なのは距離感。地に足をつけること。その上でのスピリチュアル知識なのだ、と改めて思っている。

[Posted at 8:00]