たまたま流れてきたので見たら、TV番組だった。インスタで我が子の胎内記憶を漫画で発信していた方のストーリー。
私は当然のことながら胎内記憶には理解があって、というより池川明氏が発信していた内容を知ったから、今の自分の人生を受け入れられるようになったと言っても過言ではない。
私のスピリチュアルな学びの初期のこと。
胎内記憶って証明しようがないので批判の対象になりやすい。前にも書いたけど、こういう世界ってビジネスになった時点で途端に胡散臭くなるものでもあり、取り扱いが難しい。
じっさい、ネグレクトや虐待など、生まれてきた事自体が苦しみみたいに見える人生もあって、それにはいろんな説明や解釈がされても結局のところイメージでしかない。
不妊については胎内記憶の立場から説明されることもあるようだけど、例えばその人の人生の学びは子どもを迎えることで得られるものではないのかもしれないし、子どもを授かることへの執着を手放すことが必要な学びである人もいるのかもしれない。
不妊で悩む方の場合、自分は選んでもらえないのか、というネガティブな発想につながることもあるだろうけど、その発想だと私のように独身で友人すらいない環境だと、選ばれるとかのステージにすら立てない人間ということになってしまう。それはさすがにちょっと勘弁していただきたい。
人生というのはなぜだか知らないけれど生まれる前に青写真があって、それを抱えて生まれてくるものの忘れるようにできているらしい。覚えていたら学びにならないからと説明されやすい。その代わり、ホロスコープのように抽象的でわかりづらいヒントみたいなものは用意されている。
多くの場合、結婚して子どもを授かり家庭を築く上で自然と人生に必要な学びも得られ、楽しみも悲しみも享受するようになっていると思うけど、それも時代によって変わるのではないかと私は予想している。
今みたいに独身が多い時代は、もはや家庭を築くことが人類の学びの主な項目だったレベルを卒業しようとしてるんじゃないかな。次の学びに入ろうとしてる。
結婚もできないほど貧困っていうのは普通社会構造の問題として語られるし、じっさい私も苦しいことばっかりだけど、大いなる意思のような、逆らいようのない流れというものはあると思う。それに乗ってるだけなんじゃないか。
たとえばイルミナティが人口削減を目論んだりしなくても、自然の摂理が人類の数を調節する、というようなことも、絶対にあり得ないなんて断言できるものではないと思う。
もちろん社会構造の問題を解決するべく努力するとか、少なくともあらゆる人が最低限人権を尊重されて幸せを感じられる社会にしていく必要はある。
でも温暖化懐疑論が地球は温暖化しているどころか今はむしろ氷河期だと言うように、社会構造の問題が解決されることがあってもなぜか出生数は減る一方、というようなこともないとは言い切れない。
今問題にしていることを超えて大きな力が働いてるならもう問題にする必要もない、ということではなく、結局のところひとり一人が自分の立場で誠実に生きることだけが求められているのではないかと思う。
話があっちこっちに飛んだけど、胎内記憶は人生を深く見つめるのに役立つ話だと思う。ただ、語る子どもの語り口や人数は大いなる意思がコントロールしているようでもあり、どうせならもうちょい踏み込んで人々が信じられる形で教えてもらいたいものです、神さま。
[Posted at 20:35]
たまたま見つけた池川明先生のインタビュー、リンク貼っときます。
▶第58回目(4/4) 池川 明 先生 胎内記憶研究 | 日本メンタルサービス研究所